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リリース告知B2ポスター
Nirvana、The Offspring、Green Day、Beastie Boys、Red Hot Chili Peppers、Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilotsといった海外ロックバンドのポスターやジャケットのアートワークを手がけてきた Frank Kozik が手がけたジャケットデザインを大々的にフィーチャーしたリリース告知B2ポスター。
無料配付CD(The Gift 1曲収録)
ニューアルバム購入者先着で「The Gift CD」と題した無料配付CD(The Gift 1曲収録)を配付。
裏ジャケットには「あなたの大切な人にこのCDを渡して下さい。家族や恋人、学校の友人、会社の同僚、あのころ一緒にHi-STANDARDのライブに行っていた仲間、そしてHi-STANDARDの事を知らない人、大切な人とあなたの気持ちをシェアする為のギフトとしてこのCDを活用してください。」と記されている。
※各特典はリアルショップのみの数量限定先着特典となります。
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10月4日にニューアルバム『The Gift』をリリースするHi-STANDARD。今回はその作品についてじっくり話を聞くインタビューなのだが、よく考えてみると、彼らのインタビューは90年代こそ雑誌を中心にたくさん目にすることができたが、それに比べるとウェブ上にはそこまで数がないし、あるとしても、読者が3人の活動に関する知識をある程度持っている前提で話が進んでいるものが多い。そこで今回、若いリスナーや『The Gift』で初めてハイスタに出会うであろう人たちのために、今改めてHi-STANDARDのHi-STANDARDたる所以にスポットを当て、2010年代を生きる3人と、そんなバンドが自信を持って世に送り出す傑作について理解を深めていきたい。
--Hi-STANDARDって、作品のリリースの仕方とか、宣伝の仕方とか、自分たちの見せ方にこだわってきたバンドだと思うんです。
横山いやぁ、そうは言うけど、そんなことないんだよ。自分たちがいかに興奮できるかっていうことにこだわってきた結果、それが見せ方につながってただけで。
難波それがたまたま特別だったってだけ。
横山そうそう。他のバンドが思ってる程度にはどういうふうに見られたいかは考えてるけど、そこにめちゃめちゃこだわってたってことはないよ。
--でも、「これは嫌だ」「これはやりたくない」ということがすごく多かったと思いますよ?
難波まあね。トイズ時代(TOY’S FACTORY。1994年から1998年までHi-STANDARDが所属していたメジャーレーベル)に「駅張りの広告をやりませんか?」って言われて断ったり、CMのタイアップも断ってたしね。
横山それはこだわりというより、みんなが何となくやってることに対してちゃんと疑問を持ったってだけのことで。……ひとつ覚えてるエピソードがあるんだけど、『ANGRY FIST』(Hi-STANDARDが1997年にリリースした2ndフルアルバム)をリリースする前のまだ新人同然だった頃、車のCMのオファーがあったの。それで3人してすごく悩んだんだけど、雑誌に「ライブハウスで謎の人気を誇るHi-STANDARD」って書かれるのと、「○○のCMで話題のHi-STANDARD」って書かれるのでは大きな差だねっていう話になって、そこにこだわって止めたっていうのはあるね。
難波当時はハイスタみたいなバンドがCMのタイアップをやるなんてことはなかったのよ。でも、そのときは「○○万円出しますから!」ってすごい金額を提示されて。
横山そりゃあ一瞬なびいたよ(笑)。そんな大金なんて想像つかなかったし。
難波でも、オファーが来たのはうれしかったけど、Hi-STANDARDという新たな個性はそれを選ばなかったんだよね。
--そんなことがあったんですね。話は戻りますけど、雑誌のインタビューひとつとってみても、「そのインタビューってやる意味あるの?」っていうところからしっかり考えてたし、店頭での作品の並び方についても、「お店に馬鹿みたいにCDが並んでるのは格好悪いから、イニシャルは○○枚しか付けない」みたいな考え方を持っていたし、相当こだわってたと思います。
横山時代が時代だったからさ。当時はイニシャル(初回出荷枚数)を積んでナンボの時代だったじゃない? 名前は出せないけど、とあるアーティストはCD400万枚も出荷して、実際に売れたのは200万枚とかさ。だけど、テレビとか雑誌には400万枚売ったって出るわけで、そういうのが格好悪いと思って。しかも、そのうち返品が百何十万枚とかあるわけじゃん? そういう時代だったから、ハイスタが同じことしてもしょうがないって思ってた。
難波海外ツアーに行って、FAT WRECK CHORDS(アメリカのパンクバンドNOFXのベースボーカルFAT MIKEが主宰するパンクレーベル。Hi-STANDARDのアメリカでの所属レーベルでもあった)とかEPITAPH(アメリカのパンクバンドBAD RELIGIONのギタリストBRETT GUREWITZが主宰するパンクレーベル)のバンドのやり方を参考にしてPIZZA OF DEATHを作って、そこからさらにこだわりが強くなったのかもね。
横山まあね。海外に出て、リアルタイムで一緒に活動してるバンドのやり方を見て刺激を受けたのは間違いないよね。だって、全部自分らでやってたんだもん。
難波こういう言い方すると語弊があるかもしれないけど、日本にはデカいパンクバンドがいなかったから。
横山俺らは日本に先輩がいなかったから。厳密に言うと、先輩って言われてるバンドはいたけど俺らは相手にされてなかったから、当時は先輩だと思ってなかったの。今ではあの人たちがいたからこそ俺たちみたいなバンドがいるって思えるけど。
難波それでもセールスが100万枚いくようなバンドはいなかったからね。だから、日本というフィールドで俺たちはどんな感じで行けばいいのかなっていうことで、トイズに行ってトライした部分はあったのかもね。
横山そういう部分ではグッと前に出て、でも他のオファーに対しては引っ込んだり。出たり引っ込んだりが激しかったんだよね(笑)。
--ハイスタはそこのさじ加減が絶妙なんですよ。大胆な動きをとったかと思えば、他の部分ではじっと黙ってるっていう。
横山ピュアなところとへそ曲がりなところ、両方あるんだと思うよ。だって、今でも覚えてるんだけど、トイズから最初に『GROWING UP』(Hi-STANDARDが1995年にリリースした1stフルアルバム)を出すって決めたときもさ、COCOBAT(1991年結成のヘビーロックバンド)の坂本くん(TAKE-SHIT)が「『日本で初めて聴いたパンクバンドはHi-STANDARDです』って言われたらうれしくない?」って言ってくれて、「うれしいッス! 俺ら、そうなるッス!」って答えちゃうピュアさもあったし、それとは逆に来るものに対して慎重になるところもあったし。
難波でも、バンドがデカくなることに対する怖さは全然なかったよ。だって、ピストルズとかクラッシュとか聴いて育ってるわけじゃん?
横山全員メジャーだからね(笑)。
難波ピストルズがEMIに行って、そのEMIをディスりまくってる感じとか面白いなと思ってたし、そういうちょっとしたメジャーへのあこがれはあったかもね。
--そうしてTOY’S FACTORYと契約を交わして、人気を拡大していくわけですけど、それと同時に関わるスタッフの数が徐々に増えてきて、メンバー間で意思の疎通がしづらくなるという状況に陥ってしまったんですよね。
横山うん、そうね。
--そんな1998年のアメリカツアー中に、ツネさん(恒岡)がポロッと「俺たち、このままでいいのかな」って言ったっていう話を過去のインタビューで読みました。
恒岡ん~、俺がそう言ったからクンケン(横山)が背中を押されたっていう話は人づてに聞いたことはあるけど、自分から公の場で言った記憶はないなぁ。でも、メジャーでやっていくにあたって、自分たちが納得してできることをやろうっていうことは3人のなかで共有できてたし、その上で『ANGRY FIST』が出て、状況が一段階あがったところで「このままでいいのかな?」って思ったことはたしかだね。
--ツネさんにとってもアメリカツアー中に刺激を受けたことは大きかったんですよね?
恒岡「自分たちでやろうよ」って言ったのは、海外のバンドからの影響ももちろんたくさんあったけど、メジャーのなかのインディーレーベルっていう形にだんだん矛盾を感じていた部分もあって。それと同じようなことはメンバーそれぞれたくさん感じてたと思う。
横山うん。WARPED TOUR(パンクやメタルを中心に100程度のバンドが全米の都市を回る大型ロックフェス。Hi-STANDARDは1998年に参加)の最中にナンちゃん(難波)がすごく悩んでるのも見てたし。
難波そう、いきなりMIKEから呼ばれたのよ。それで「日本でハイスタはどんな感じでやってるんだ?」「印税は何%なんだ?」「そんなやり方でいいのか?」「自分たちが本来もらえるはずのものがかなりもらえてないぞ?」「それだけのことをレコード会社にちゃんとやってもらえてるのか?」みたいなことを言われて。最初は「やってもらえてる」と思ってたけど、FATのバンドの活動を見てるうちに、ハイスタは自分たちに必要ないことまでやってもらってたのかなって思うようになったんだよね。
横山あの頃はEPITAPHとFATの絶頂期だったからさ、WARPED TOURに出てもみんなが眩しく見えたね。みんな同じようなシステム……っていうと変だけどさ、バンドメンバーがいて、サウンドマンがいて、ローディがいて、ギターテクがいて、物販がいて、どのバンドも全員でひとつのチームになってんの。それでライブが終わると、それぞれのバンドのバスでちゃんと金の計算してるわけ。それを見て、「俺たち、チームいねぇじゃん!」って。
難波あれはすごいと思ったよね。自分たちは日本に帰ればいろんなことを人にやってもらってたけど、“チーム”と言えるものではなかった。
横山そうやってそれぞれが悩みを抱えてたんだよ。ダイシ(筆者)も言ってたけど、俺ら3人以外の人がいないと集まれない状況が生まれてきて……まあ、今では俺たちはこれだけ別々のことをやってるから、間に入ってくれる人がいないとむしろ困るんだけど、そのときの俺たちはすごく違和感を覚えたの。俺、どんなことに対しても「これでいいのか?」って思うのはパンクスのDNAなんじゃないかと思うんだよ。そういうDNAを3人それぞれが持ってて、当時はそれがネガティブなほうに出ちゃったんだと思う。今だったら話し合って済むようなことでも、当時はお互いに当たるようになってきてさ、当然バンドの空気も悪くなって。
恒岡そうだったね。
--これはあくまでも“もしも”の話ですけど、FAT MIKEからアドバイスをもらったり、海外ツアーに出て他のバンドから刺激を受けてなかったら、そのままバンドが潰れてた可能性もあったということですか?
難波それは結果論だから分からないけど、そのあとPIZZA OF DEATHを設立して、『MAKING THE ROAD』(Hi-STANDARDが1999年にリリースした3rdフルアルバム)を作って……3人で作った会社とは言え、実務的なことはケンくん(横山)がやってくれて、そのせいでケンくんが疲れて、結果的にバンドが潰れたと言えば潰れたわけじゃない? だから、誰のせいっていうことじゃなくて、あのままトイズにいて『MAKING~』を出したとしても活動休止してたかもしれない。……でもあの頃、どうせ活動休止するならピザ作ったほうがいいんじゃないかって思ったのよ。すごく変な言い方だけど。俺は『ANGRY FIST』の次のアルバムは間違いなく売れると思ってたの。時代の流れ的にも、ハイスタの勢い的にも。
--当時、多くの人がそう感じてたと思います。
難波だったら、最後にバンドが吹っ飛んででも自分たちの力で作品を出して、自分たちが納得いくようにやったほうがいいんじゃないかって思ったの。ケンくんには負担が大きかったかもしれないけど。
横山たしかにそんなこと言ってたような気がするな、97、8年ぐらいのナンちゃんは。
難波そう。それで自分たちの城を作って一度やってみた方がいいんじゃないかってみんなに提案したのかもな。メジャーとかインディーとかそんなレベルじゃなくてさ。話は飛んじゃうけど、今こうやって『ANOTHER STARTING LINE』も『The Gift』もPIZZA OF DEATHからリリースできる状況にあるっていうことは、あのときの選択は間違いじゃなかったとは思えるかな。
横山そう。長くて苦しい時代はあったけどね。
--メジャー/インディーではなく、自分で自分のケツを拭くことを選んだっていうことですよね? それが結果的にインディーというくくりにはなったけれど。
横山そうそう。別にインディーになりたかったわけじゃないから。
難波権利から何から全部自分たちで持つっていう。
横山だから必死で勉強したよ。
難波俺は後になってから勉強したけど、当時のケンくんはすごかったと思うよ。
横山この3人のなかで事務的なことをするのは俺なのね。
難波ケンくんはPIZZA OF DEATHを作る前から首にがま口ぶら下げてさ(笑)、ツアーに行ってはガソリン代とかの経費を出してくれたりしてたのよ。
横山「BRAND NEW SUNSET」(『MAKING THE ROAD』収録の楽曲)のミュージックビデオを観てもらいたいんだけど、俺、ウェストバッグを体の前につけてるの。
難波そうだね(笑)。
横山あれ、すごく格好悪いんだけど、しょうがないの! あの中にバンドの全財産が入ってたから!
--あはは!
難波「これを失くしちゃみんなに悪いから」って。
横山あんなもん、前につけてたくなかったけどさ!
--後ろだと怖いから(笑)。
難波あそこから経営者・横山健は始まってるんだよ。
一同(笑)
--さっきの「どうせ活動休止するなら」っていう言葉に戻るんですが。
横山思い切りたかったんじゃないのかな。海外のバンドを直に見て刺激を受けて、「俺たちこんなんでいいのか」って。
難波あと、自分たちのレーベルをやるとしても、そこまで長くやる予定がなかったっていうか。
横山あ、意外とナンちゃんはそう思ってたよね。
難波そう。自分の人生的にもバンドを30過ぎてやるとは思ってなかったから、それ以降のイメージが全然持てなかった。だから「ここで一発やってやりたい」っていうことだったのかな、『MAKING~』は。
Vol.02に続く
Interview By 阿刀大志
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Hi-STANDARDインタビューPART1となる前回は、メジャーレーベルとの契約からPIZZA OF DEATHの設立までを3人に振り返ってもらった。今回お届けするPART2では、約11年の活動休止期間を経て、歴史的なツイート「9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!」を放つに至ったHi-STANDARDの本質、ハイスタからPIZZA OF DEATHへと受け継がれたハイスタイズム、そして最新作『The Gift』の核心へと迫っていく。
--『MAKING THE ROAD』をリリースしたあとのビジョンを持たないままPIZZA OF DEATHが始動し、結果的に2000年のAIR JAM 2000を最後にハイスタは活動休止期間に入ってしまいました。だけど、その後もハイスタイズムはPIZZA OF DEATHのスタッフに受け継がれていって、今再びリリースにつながっているという。
横山なかなか壮大なロマンだよね。
--今でこそ違いますけど、マネージャーが存在しないまま3人でバンドを運営していくという……まあ、そのせいで2011年の春までいろいろと大変なこともありましたけど、そのことが重要なポイントだったんじゃないかという気がしていて。じゃなかったら、東日本大震災から1ヶ月半というスピードで、3人揃って「9.18 ハイスタンダード AIR JAM。届け!!!」とTwitterで発信して、AIR JAM 2011の開催にこぎつけるなんて離れ業はできなかったと思うんですよ。これだけ大きなバンドが動くとなったら、普通はマネージャーをはじめとして様々な人がそこに関わってくるはずで。
難波それはケンくんも前に言ってたよね。
横山大きいバンドが一度離れちゃったらさ、それぞれに個人事務所があって、個人マネージャーがいて、「あいつに話さなきゃ」「こいつに話さなきゃ」みたいな面倒くさいことになるけどさ、俺たちは3人が集まってOKになったなら、あとは周りに説明して納得してさえもらえればいいわけで。そういうふうに3人で決められる強みはあるし、あの時のことはハイスタの成り立ちを証明してるよね。
難波“オトナ”っていう言葉があるじゃん? メジャーのレーベルの人、マネージメントの人、業界の人。ハイスタにはそういうオトナがいないよねっていう話になって。
横山まあね。ピザ始めたときなんて全員20代だったし。
難波26歳そこそこの奴がよくやってたと思うよ。
--振り返ってみるとそうですよね。当時は必死だったし、同じようなことをやってるバンドが周りにいなかったからわからなかったけど、やってたことは異常ですよね。
横山俺は有限会社の設立の仕方から、「著作権とはなんぞや」とか「どこからどこまでが経費として認められるのか」とかそういうことを全部聞いて、税理士の先生から貸借対照表のことを習って、商工会議所に行ったり、法務局に行ってとか全部やってたら……イヤになっちゃった! あはは!
難波そんなふうにケンくんが頑張ってるなか、俺は「じゃあ、今日の打ち上げの会費、全部ピザで持っちゃうかい?」なんつって。そしたらケンくんから「今日はそんなにアガリがないんだからダメだよ!」ってシメられたり。
横山しかも、チケット代が1,000円だったりしてね(笑)!
難波もう全然ダメだったね! 当時はどんぶり勘定で生きてたから、本当に。
横山どんぶり勘定でひとつ思い出した! バンドTシャツを初めて作ったときのこと。今じゃ物販なんて普通だけど、当時はまだそんなのなかったの。で、俺は自分のバンドのTシャツを着るのが夢だったから、友だちの洋服屋さんに相談したんだよ。自分で手描きした絵を渡して、「これでTシャツ刷ってくれ」って。でね、全部で3色作って、そんなに枚数は作らなかったんだけど、メンバーは全色欲しいわけじゃない? だから3枚ずつ渡したわけ。それで残りは全部売ったんだけど、なぜか赤字なの。そりゃあそうだよね! そんなに数作ってないのにメンバーが9枚も持っていったらさ。しかもさ、そのTシャツ2,000円で売ったんだけど、実は下代で1,400円もかかってて。
難波ぼったくられちゃったんだよね。
横山今だったら考えられないでしょ? 今はみんなノウハウあるし、「白ボディだったら下代は1枚400円ぐらいかなぁ」なんて計算が立つけど、当時はそんなこと全然知らなくて、「なんで全部売れたのに赤字なんだ!」って(笑)。そうやって全部手探りで覚えていったんだよ。
難波それでバンドがグッズ作るのが格好良いってなってみんなやるようになったんだよね。
--当時はそんなに珍しいことだったんですね。
難波それもNOFXから学んだことで。チケット代を500円とかとにかく安くして、ツアーの経費をTシャツの売上でカバーしてるのを見て、「ああ、これはいいなぁ」って思ったんだよね。
横山ジャパコアのバンドは当時からTシャツ作ってたのかもしれないけど、そういう人たちからは教わるチャンスはなかったからさ。
--こうして話を聞いてみると、3人に元々備わってたパンクのDNAもあったけど、苦労しながら身に付けていった経験や発想がHi-STANDARDというものを作っていった部分も大きいんですね。
横山……あ、またひとつ思い出しちゃった。これはトイズから出す前の話なんだけど、とあるインディーレーベルから「LAST OF SUNNY DAY」(Hi-STANDARDが1994年にリリースした1stミニアルバム)を出す予定で、レーベルにスタジオを押さえてもらってレコーディングしたんだけどさ、いっこうに発売日が決まらないわけ。「リリースするお金がないから」って言われて何ヶ月も先延ばしにされちゃって、時には逆ギレされたりもして。それで俺とナンちゃんで真冬の公衆電話から電話したんだよね。
難波そうだったね。
横山それで、レーベルの人にどうしたら出してくれるのか聞いてみたら、「レコーディング代を全部出したら原盤をあげるよ」って言われたの。それで、「レコーディング代っていくらかかったんですか?」って聞いたら50何万って言われて。当時の俺たちなんて一回の飯に500円かけるのがやっとだったからさ、「50万!? 天文学的数字だ!」ってなったわけ。そこで“原盤”ってものの存在を初めて知ったんだよね。
難波そのことでちょっとインディーってものが嫌いになって、それがきっかけでメジャーに行きたいって思ったのかも。「裏切られるの嫌だな」って。そこを救ってくれたのが当時トイズにいたCOCOBATの坂本くんで、だからトイズに行ったの。その頃はブッチャーズ(bloodthirsty buthcers)もトイズにいたし、大丈夫かなって。
横山当時のトイズの社長は心が広い人でさ、「なんでもやりなさい」って言ってくれて、でもトイズの本丸からリリースするわけにはいかないから、「自分たちで名前をつければインディー流通に乗せてあげるよ」って。それで付けた名前が“PIZZA OF DEATH”。
--話を活動休止後に戻します。2000年代の10年間、ハイスタの活動はずっと止まってましたけど、バンドの性格や魂的なものはしっかり残ってたんですか?
横山どうやらそうみたいだね。
難波そこはPIZZA OF DEATHが継続されてたことが一番大きいんじゃないかな。もしハイスタが活動休止したときにPIZZA OF DEATHも解体されてたら、そのイズムは完全に途切れてただろうし、今それをもう一度作り直そうとしてもなかなかできないよね。
--AIR JAMまではできたでしょうけど。
難波リリースはまた違うもんね。あとはさ、PIZZA OF DEATHって全国のライブハウスとのネットワークが半端ないじゃない? こないだも思ったんだけど、どこのライブハウスに行っても絶対にピザのフライヤーとかポスターが置いてあんのよ。そういうライブハウスとの関係ってこれまでに積み重ねてきた歴史だし、それってものすごい財産だよね。それが一度途切れて、10年後にまたやりましょうなんつってもなかなかできないよ。
--去年はシングル『ANOTHER STARTING LINE』が突然店頭に並ぶというリリース方法で世間を驚かせたわけですけど、今回は全国主要都市のアドボードでリリース告知をするという、またしてもとんでもない手法をとりました。
難波やったよねぇ。ピザのスタッフから最初にそのアイデアを聞いたときにすごいと思ったの。「そうくる!?」って。アルバムを出すことが決まった頃に、そいつが「どうやったらハイスタがいいふうに見えるか、僕なりに考えてみます」っていうことを言ってて、その結果がアレだったから、すごく考えたと思うんだよね。
横山俺、ひと言も相談されなかった(笑)。
一同(笑)。
--社長なのに。
恒岡ピザのスタッフが「こっちかなぁ、どうかなぁ」って悩みながら、慎重に仕事を進めている姿を何度も見てたから、「有り難いなぁ」って思ってた。
--アルバムの制作はいつから動き出してたんですか?
難波去年のAIR JAMをやるときには「アルバム作ろうか」っていう話にはなってたかもね。で、本気でやろうかってなったのが年明けてちょっとしてから。
--意外と最近だったんですね。
横山そうね。
難波「曲数足りなくてもいいからやろうよ」って。ツネちゃんは絶対12曲は必要だって言ってたけど、俺とケンくんは「やることやって足りなかったらしょうがないよね」って。
恒岡俺はアルバム単位にならないなら絶対にやらないほうがいいってしつこく言ってた。
--ツネさんとしては、中途半端なボリュームでは出したくなかったと。
恒岡うん。それでナンちゃんとも話して、「ツネの気持ちはわかった。じゃあ、やれるだけやろう」って。クンケンともみんなともそうやって話をして、曲作りの途中で「この曲でストップしてもいいかな」って話になったこともあったんだけど、「もうちょっとやろうよ」って。でも、共有してた意識は3人とも同じだったかな。
横山俺はたとえ8曲になったとしてもアルバムっちゃあアルバムじゃんって思ってた。曲が長いからっていうのもあるけど、METALLICAなんて8曲でアルバムにしてたわけだし、LIFETIMEなんて11曲20分ちょいでもアルバムなわけ。だからそれでいいじゃんって思ってたけど、ツネは嫌だったみたい。
恒岡うん、なんでかは自分でも上手く説明はできないけど、もしかしたらシングルを経たからこそそう思ったのかもしれない。
難波でも、結果としてはよかったよね。俺はやることに意義があると思ってたんだけど、ツネちゃんがそういってくれたから、「じゃあ、やってやるよ!」って思えた。
横山俺は8曲しかできなかったらツネを騙してでも出そうと思ってたけどね(笑)。
--あはは!
恒岡俺ももちろん、やってみてできなかったらそれはしょうがないとは思ってたよ。
横山それで、1月の終わりにまず「ALL GENERATIONS」ができたの。それまでも何曲か作ってたんだけどなんかイマイチで、でも「ALL GENERATIONS」ができてからギアが入って、4月のケツまでに16曲できた。
--ええ~! それはすごい。
横山すごかったよ。マジックがかかってたんだと思う。だって俺、いつもスタジオ終わって車で帰るとき、視野が狭くなって耳鳴りがしてたもん。それぐらい気持ち的に集中してたというか、一生懸命やってた。
--ハイスタの曲作りってすごく時間がかかるイメージですけど。
横山でしょ? 90年代のハイスタはツアーをしながら徐々に曲を作って、半分ぐらい曲がたまったところで「さぁ、アルバム作りに取り掛かろう」って残り半分を作るやり方だったから。
難波作った曲をライブでもやってみてね。
横山そうそう。だから、こんな曲の作り方は初めてだったの。今回はまず、ナンちゃんにスイッチが入ってさ。持ってくるネタの量がすごいのよ。「ALL GENERATIONS」の元ネタを持ってきたのもナンちゃんだし。それで俺がピンと来ちゃって。
難波ネタを持っていけばケンくんがアレンジをしてくれるんだなっていう安心感が生まれて、「こんなのどう?」ってどんどん持っていけたね。
横山ナンちゃんが鼻歌を歌うのよ。「こんな感じの思いついたんだけど」って。それをギターで拾って曲にしていったり。
難波そうだね。それはもう、青春でしたよ。曲作りの時間は短かったけど、「ああ、これは初期のハイスタっぽい」って思った。
横山ナンちゃんがポンと俺にネタを投げてきて、ピンとこないものは「うーん」ってなるんだけど、ピンとくるとすぐにBメロが浮かんだり、サビが浮かんだりして、それを家に持って帰ってちょっとアレンジしてみて、それをツネに渡すとさらに面白いことになったり。
難波それがまたいいんだよなぁ。
--ツネさんは横山さんから流れてくるものに対してどう感じてたんですか?
恒岡クンケンが提案してきたものに対して、「じゃあ、こんなのはどうかな?」って返すやり取りはいつもどおりなんだけど、今回はそのスピードが早かった。
横山もう、ナンちゃんが強烈だったよ。一回の練習で3つ4つネタを持ってくるの。
難波バーっと降りてきたね。それはもう、「やるならとことんやろうよ」っていう話でさ。「The Gift」なんて最初は超バラードだったんだよ。だけど、「これ、速いほうがいいと思うんですよね」ってWAKA(Hi-STANDARDのマネージャー)が。
横山そう。WAKAが言うんだよ、「CLOSE TO ME」みたいなリフを作ってくれだの。
難波「STAY GOLD 2」を作ってくれだの。
横山最初はそういうリクエストを受けて「うーん」って考えるんだけど、それを4、5回も言われると、「じゃあ、昔の曲でも聴いてろや!」って(笑)。
--『ANOTHER STARTING LINE』を聴いた上でまだそんなことを言ってくるんですか(笑)。
横山でも、そうやってみんなで作り上げていった感じはあるね。
難波今回、コンセプトとして「イケイケなアルバムを作りたい」っていうのがあったんだよね。だから、「ALL GENERATIONS」ができたときは「キタ!」って思った。
横山あの曲は速い8ビートで、ハイスタ特有の2ビートじゃないじゃない? でも、あれが今のハイスタなんじゃないかなっていう気がすごくしてる。
--たしかにそう思います。去年、ナタリーのインタビューで難波さんに話を聞いたとき( http://natalie.mu/music/pp/histandard03 )、大人のパンクロックにしたかったという話をしていたと思うんですけど、今作にもそれが引き継がれてるなと。個人的には「MY GIRL」以降のミドルテンポ多めな展開が好きですね。全体的に曲の速さは抑えめですけど、それが今のハイスタっていうことなんですか?
横山曲の速さについてはすげぇディスカッションしたね。
難波そうだね。
横山俺は「もっと速く! もっと速く!」って感じだったんだけど、練習で録ったものを家で聴くとさ、そう思ってるのは俺だけなのかなとか思ったり。そこでツネに聞いてみたら、ツネのやりたいリズムと俺のやりたいリズムがすごく離れてることがわかって、結局ナンちゃん案を採るっていうね(笑)。
恒岡そういう曲もいくつかあったね。
横山そうやって1曲1曲に対するディスカッションはすごくしたし、レコーディング直後にも「もうちょっと速く録りたかったな」っていう曲がいっぱいあったのね。でも、結果的にこれでよかったんじゃないかなって気はする。
恒岡それは3人とも共通して思っているところですね。
--3人とも速くしておけばよかったと思う曲があったのに、最終的にここで落ち着いたのは何故ですか?
難波速い曲ってムズいんだよね。3人が相当噛み合ってないとスピード感って出なくて。BPMだけの問題じゃない。今回は短期間で集中して作ったけど、ここが今の3人のBPMだと思うのよ。
恒岡でも、さっきダイシが言ってくれたように、「MY GIRL」以降のミドルな感じがいいって言ってくれるのは、ひとつの感想としてうれしいね。
--ツネさんは今回のテンポ感についてどう考えてたんですか?
恒岡テンポ感については歌が基準になって演奏がまとまっていく部分があるから、そこに対するナンちゃんからのリクエストには応えてた。で、自分がどうしても曲げたくないときはそういう話をしたり。あと、今回のアルバムは大きく演奏のイメージを変えたくて取り組んでる部分があったんだけど、やってるうちにそれが合わないことに気が付いて途中から修正して。
難波それは具体的にどんな感じだったの?
恒岡右バッターが左打席で打つ感じ。
難波全然わかんないわ!
--それって相当な変化じゃないですか?
恒岡そうそう。そんなようなことをやってたの。だけどそれが噛み合わなくて、さっき言ったみたいに最終的に元に戻したらちょうど良くなってきたんだよね。
難波ツネちゃんは最初から右バッターだと思うんだよ。ドラムって一番アスリート的だと思うし、肉体との戦いっていうこともわかってる。特にパンクロックの場合は。だからツネちゃんもすごく戦ってると思う。だけど今回は右バッター全開のツネちゃんが見たかったから頑張ってもらったな。
恒岡スタジオで作業していくなかでいろいろ確認できたことはあったかな。
--結果的に元には戻したけど、トライしたことに意味はあったんですね。
恒岡なんでもトライ&エラーだと思うんだよね。
横山まあ、トライ&エラーも一人でやってくれりゃあいいんだけど、俺らの前でやられるとこっちはたまったもんじゃねぇよ(笑)。
一同(笑)
恒岡まあ、ハイスタは縦社会だから。
--トライアングルとは言いつつも。
横山でも、今の話の流れだと明らかにツネが一番上だよね! 「僕の好きなようにやらせてください」って!
一同(笑)
Vol.03に続く
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3週にわたってお届けしてきたHi-STANDARDインタビューも遂にPART3。完結編となる今回は、ニューアルバム『The Gift』について引き続き3人に話を聞くとともに、10月26日からスタートする全国ツアーへの意気込みも語ってもらった。初のアリーナツアーに込められた思いとは……? と、その前にまずはこれまで明かされることのなかった2000年代初期の話からスタート。
--話は変わりますけど、2000年か2001年ぐらいにカバーシングルを出そうかっていうことでスタジオに入ってた時期がありましたよね?
横山うんうん。
--「MY GIRL」ってそのときからあったカバーで、当時一度だけ聴いた覚えがあるんですけど。
横山そうなんだよ。俺、そのときのことをよく覚えてて、「BRIDGE OVER TROUBLED WATER」もそのときにやってた曲でさ、すごく出来がよかったから、練習テープを家で一人でずーっと聴いてたんだよ。それが忘れられなくて、今回アルバムを作るタイミングでどうしても試してみたくなって、2人に「あれやろう!」って。「BRIDGE~」は難しくて何度か挫けそうになったんだけど。
難波そこはケンくんとツネちゃんは戦ってたよね。
横山そう、俺が歌ってほしかったドラムのやり方と、ツネのドラムの歌わせ方が全然違ってさ。
恒岡ああ、あったね。
横山俺は歌に合わせて叩いてほしかったんだけど、ツネは勝手に歌っちゃうところがあるから(笑)。いや、それはツネのいいところでもあるんだよ? だから、「そこはもっと歌に寄せてくれ!」って。
--「BRIDGE~」はド渋ですよね。さあ、どこで駆け出すかと思ったら。
難波そのままずっと行っちゃうっていう。
--当時からアレンジは変わってるんですか?
横山細かいところは相当変わったと思う。「MY GIRL」も大枠は変わってないけど、今のアレンジになってる。
--17年の時を経てこうやって形になるとは、実に感慨深いです。あと、「WE’RE' ALL GROWN UP」もいいですね。
横山ああ、あれができたときは「これはハイスタだね!」ってなったね。
--あの曲は昔からのファンが一番入りやすいかもしれないですね。あと、「FRIEND SONG」のギターもいい。
横山いいっしょ? 初めて12弦ギターで弾いたんだよ。ナンちゃんが朴訥な曲を突然作ってきたから、これは12弦ギターで弾いてみたら面白いかもなと思って。
難波今回、久しぶりにハイスタでアルバムの制作に入ったけど、「ああ、やっぱケンくんはすごいんだな」って思った。
--改めて。
難波思ったね。だって、ケンくんがそうだと思ったものは俺もヤバいと思ったし。今回、ケンくんと俺が一度もぶつからなかったんだよね。俺のアイデアを完全に覆されても「いいな」と思えたし。
横山「WE’RE' ALL GROWN UP」じゃないけど、エゴじゃないんだっていうことがわかってるから、みんながちゃんとひとつの目標に向かってた。
--やっぱり『MAKING THE ROAD』のときとは違いますか。
難波そうだねぇ。あのときはけっこうバチバチで。「譲りません!」みたいな。
横山真面目な話、めっちゃすごいチームだと思うよ、今。ナンちゃんがアイデア出して、俺がアレンジして終わりじゃない。それをまたナンちゃんに投げ返して、またナンちゃんから返ってきて、それをまたコネコネコネコネして。
--この素材を使って何か美味いもんできないかな、みたいな。
横山本当にそう。俺が調理に取り掛かると、ナンちゃんも一緒になって調理するわけよ。そこにツネが調味料を持ってきて、本来はソースを使うような場面で醤油を入れて、それが面白い味になってくるわけ。
難波今回、RYAN(GREENE。今作のミックスを手掛けたエンジニア)とは日本とアメリカでやり取りしたんだけど、RYANから送られてきたミックスを聴いて、俺は「これぐらいでいいんじゃないかな」って思ってたんだよ。だけどケンくんが納得いってなかったから、俺は「とことんやったほうがいいよ」って言ったの。そうしたら、作業の後半はケンくんしかRYANとやり取りしてないのよ。それで最終的に仕上がったのを聴いたらギターがすごい。初期のハイスタの音がする。
横山俺も、「ヤバい、託された」と思ったからさ。……ちょっと格好良い裏話していい? ここでハイスタがしょうもないサウンドを出したら示しがつかないと思ったの。世の中に対しても、ハイスタを目指してる若いバンドに対しても、ハイスタに憧れてくれてる子に対しても。自分で言うのもアレだけど、「結局、お前らの親玉ってそんなもんかよ」みたいなことになったらシャレにならないし、絶対に嫌だと思って。もちろん、自分たちのサウンドを格好良くしたいっていうのもあったけど、「日本のパンクロックのためにやったるぞ!」って感じだった。
難波その気持ちは強かった。
横山あと、『ANOTHER~』は楽しかったし、いい作品だとも思うんだけど、ハイスタは4曲じゃ表現しきれないんだなって痛感して、それが実はすごく不満だったの。だから今回、これだけ揃えられて気持ちがいいね。
--今回、アルバムタイトルが『The Gift』ということで。
難波これ、いいよねぇ。ケンくんが書いた歌詞から引用したんだけど、タイトル決めるときにこれしか浮かばなかった。
横山前から言ってるけど、ハイスタって歌詞は分業制で、俺かナンちゃんが書くのね。そうなると自分が書いた歌詞ってプレゼンしにくいのよ。だから、「ANOTHER STARTING LINE」はナンちゃんが書いた歌詞だけど、それをタイトルとして押し出そうって言ったのは俺だし。やっぱ、なんか「今、これでしょ」ってピンとくるものがあるんじゃないのかな。
--タイトルだけ見ると、ハイスタからファンへの贈り物のようにも受け取れるんですけど、同タイトルの楽曲の歌詞を読むとそれだけではないという。
横山誰にでもその人にだけに贈られたギフトが必ずあるよっていうつもりで書いたんだけど、ナンちゃんが「これはいろんな含みを持たせられるよ」って。
難波今回、ハイスタがこうやって集まってフルアルバムを作ったことも、音楽の神様なのかなんなのかはわからないけど、何かからのギフトだと思うのよ。それをみんなにも共有してもらえるんならそんなに幸せなことはないよね。これは奇跡的な話だからさ。最初の話にもつながるけど、自分たちで全部考えてやってきたからこそできる、他のバンドとは意味の違うアルバムになったと思う。単純に「何年越しに復活しました」みたいなのとはわけが違うんだよね。
--ずっとつながってますからね。
難波で、それをどう見せるかっていうことをPIZZA OF DEATHの新しいチームと考えて、また新しいことをやってる。アドボードのこともそうだけど、「新しいことやってますね」って人からも言われるよ。
横山俺たち、別にゲリラのつもりはなかったけど“ゲリラ告知”って言われて、そこにHi-STANDARD『The Gift』って書いてあったら、そりゃあ待ってた人は泣くよね。俺が待ってる立場だとしたら、潮吹いちゃうかもしれない(笑)。
--(笑)さっきも話に出ましたけど、それをオトナが考えてやってるわけじゃないですからね。なんで今回、昔の話が聞きたかったかというと、『ANOTHER~』のゲリラ販売がインパクトありすぎて、その手法ばかりが取り沙汰されてしまったので、ハイスタの本質的な部分を改めて伝えないといけないんじゃないかと思って。
難波たしかに。ハイスタのバックでオトナが動いてるように見えるんだろうね。
横山メンバーも含めてボンクラどもが知恵出して考えてるだけですよ。
恒岡野良犬どもがね。
--ツアーもすごいですね。アリーナとライブハウスが混在してるという、これも誰もやったことがない新しいツアーの形だと思います。
横山チャレンジだよね。まず、ハイスタの哲学として小さいところでやるのは当たり前でしょっていうのがあって、アリーナとアリーナの間に200キャパのライブハウスでやるとか普通じゃありえないことだけど、それをさらっとやるのがハイスタで。
難波なんでアリーナなんてデカいところでやるかっていうと、これぐらいの規模でやらないと観たい人たちがみんな観られないと思ったからなんだよ。今回はそういう人たちに本当に観てもらいたいから、これがいい具合のマックスなんじゃないかな。
横山今までハイスタを求めてる全ての人の希望には応えてこなかったと思う。だけど今回、初めて応えてみたくなったの。
--みんなに観てほしいとはいえ、50歳を間近にしてアリーナに挑戦するっていうのもちょっとしたプレッシャーですね。
横山そんなことはないよ。仕込む側は大変だと思うけど、ステージ出てってロックンロールするだけでしょ?
--ドヤりましたね。
横山いや、でも俺は本気でそのつもりよ。周りのスタッフを困らせると思うけど、毎日セットリスト変えるつもりだし。普通はこれぐらいの規模のツアーをするなら、しっかり曲順を決めて、照明も決めて、ちゃんと演出すると思うんだけど、そうはさせないから。
難波そうだね。そこは今までどおりのことをやるね。
恒岡そういうことだと思います。
--親世代のファンからするとアリーナで席があるっていうのはうれしいですよね。
横山それは福岡ドームでよくわかったね。「下(スタンディング)で暴れたいけど、子どもがいるから僕はこっち(スタンド)です」って言ってたお父さんにも来てもらいたい。
難波俺は、ハイスタが今の時代にどんな感じで打ち出すのかっていうのはぶっちゃけ不安だったのよ。どんなふうに見られるのかっていうことまで考えちゃって。でも、アルバム作ったら全部どうでもよくなった。「やるだけでしょ!」って。これはアルバムを作った自信なのかもね。
--それだけ今回の作品に納得がいってるってことですよね。
横山今日の昼に最終マスタリングが届いたんだけど、いいアルバムができたと思うよ。よそと比較するわけじゃないけど、俺らは俺らで今のハイスタに忠実で、今の音楽に擦り寄ってないものを作れたと思う。最近はボーカルのピッチをみんなキレイに整えるけど、ナンちゃんは嫌だって言って直さなかったの。ギターに関しても「切ったら血が出るぐらいのもん録っちゃる」って思ってたし。
難波これはみんなヤラれちゃうと思う。今って小学生ぐらいのハイスタファンがリアルにいるのよ。こんなに幅広いファンがいるなんてハイスタにとっては初めてなわけじゃん。中学生が聴いてコピバンを始めたりする勢いがあるアルバムだと思うんだよね。昔コピーしてた奴も「またやってみよっかな」って思うだろうし。
横山だから「ALL GENERATIONS」の歌詞を聴いてもらいたいんだよ。“ハイスタ世代”って言葉が定着しちゃってるけど、冗談じゃねぇよ。「どんな世代も来い!」っていう感じ。だから、子どもが親に教えてやってほしいし、お父さんお母さんも子どもに教えてやってほしい。
--みんな、「俺、ハイスタ世代なんで」って言いますもんね。
横山『ANOTHER~』のときにそういう言葉を色んな人からもらってうれしかったな。「これで僕もハイスタ世代になれます」って。
難波今好きになった子も、これから好きになる子も、みんなハイスタ世代だよ。よろしくね。
Interview By 阿刀大志
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先週までHi-STANDARDの全体インタビューをお届けしてきたが、今回からはメンバーの個別インタビューへと移る。トップバッターはベース・ボーカルの難波章浩。無敵の3ピースのフロントマンを務める彼は、最新アルバム『The Gift』の制作において他のメンバーが驚くほど積極的に曲のアイデアを提供し、今作のエンジン部分を担うこととなった。そんな彼に、メロディメーカー、そしてボーカリストとして抱えていたプレッシャーとその克服、そして今後の未来予想図について語ってもらった。
--Hi-STANDARDの難波章浩として、この1年はどうでしたか?
単純にHi-STANDARDの難波章浩だって胸を張って言えるようになったのはうれしかったね。2011年のAIR JAMをきっかけにまたHi-STANDARDとして活動できることになったけど、あのときはHi-STANDARDの力を持って自分たちにできることをやっただけだから、バンドとしての復活とは思えなかったんだよね。だけど、『ANOTHER STARTING LINE』を出して、去年のAIR JAMぐらいから、「ああ、ハイスタ始まってんだな」って思えるようになったかな。
--『ANOTHER~』のための曲作りの時点でもまだ胸を張れるような状態ではなかったんですか?
そうだね。2012年のAIR JAMのあとの3年が2000年から11年間のブランクを埋めるために必要な時間だったんだよね。それがなかったら今回のアルバムはこんなクオリティではできなかったかもな。11年も休んでからまたバンドを始めることすら初めてなのに、その上で他のバンドに本気で負けないような何かを打ち出すなんて到底出来ることじゃないんだよ、本当は。だからここからがまた新しいんだよね。ハイスタを結成してからすごく時が経ってるんだけど、全く新しいバンドをやってるぐらいの感覚になるときが俺はある。
--新しいことをやってると感じるようになったのは?
それはもう2011年のAIR JAMからだね。全然前と違うんだもん。それで新曲ができて『ANOTHER~』が出たんだけど、今の世にハイスタが存在することが自分のなかで新しすぎちゃって、一度整理する時間が必要だったのかもね。だから、『ANOTHER~』ができたからすぐに次の作品、なんてなれなかった。
--でも、『ANOTHER~』を出したことでひとつクリアできたと。
そう。ケンくんは4曲じゃ足りなかったって言ってたけど、俺は去年の時点でアルバムができるとは思ってなかったからさ、『ANOTHER~』はあの時の最大で最強の4曲だったと思うんだよね。『LAST OF SUNNY DAY』ってガチャガチャでメチャクチャだったじゃない? 今聴くといいんだか悪いんだかわかんないっていうか、すごいテンションじゃない? 『ANOTHER~』ってアレと同じだと思うのよ。テンションもベクトルも違うんだけど、訳わかんない状態で模索しながら作った作品。だから、『The Gift』は『LAST OF~』の次の『GROWING UP』ができたような感覚に近いね。
--ここからまた新たに始まるっていう。
本当は音楽的にもっともっと幅広いチャレンジがしたかったのよ。だけど、まずは『GROWING UP』の頃の感覚で作りたいなって思ったから、『The Gift』はこういう感じになったんだよね。だからもうちょっとしたら、「こんなの出すの!?」みたいな曲がもっと出てくるかもね。
--『GROWING UP』の頃に戻ってるということは、今のHi-STANDARDを純粋に楽しめてるところがあるんですね。
あとこれから楽しみなのは、ハイスタに影響を受けてバンドを始めたような奴らと対バンすることなのよ。「ああ、今日は負けちゃったな」とか「今日は勝ったぞ」とか、普通に楽しみたいんだよね。
--去年のSATANIC CARNIVALで観たNAMBA69のライブがすごく良くて、ライブ直後に難波さんに感想を伝えたと思うんですけど、そのとき「ハイスタが動いてることで自分のなかで上手く切り替えができてる」って話をしてたのが印象的で。
当たり前だけど、俺はおじさんになることが初めてで、おじさんになってステージに立つことも初めてなんだけど、その事実をやっと消化できたのかな。おじさんとして生きることに慣れてきたっていうか(笑)。
--おじさんとしての自分をついに受け入れた(笑)。
前は「若振らなきゃ」とか、変に突っ張ってたところがあったけど、今は受け入れられてる感じがするんだよね。
--その上で何ができるのかっていう。
そう。で、結果として、『The Gift』ができて、「あ、これは歴史的なパンクロックアルバムだ」って思えたから、そんなのを生み出せたハイスタの威力ってハンパねぇなって。……俺はやっぱ、ハンパない音楽が打ち出せてればいいのよ。あとは何もいらないんだよね。今は家族がいるから家族が大事だけど、家族がいなかったとしたら本当にそれでいいのよ。
--今回の制作って、難波さん的にはどういう思いで臨んだんですか?
ものすごいプレッシャーだったよ、できちゃった今だから余裕で言えるけど。だって、今回俺がネタを相当持っていったけど、結果的に内容がまあまあだったら、「難波ってその程度になっちゃったんだ」ってなるし、「枯れた」って自分で思っちゃったらそんなショックなことはないよ。
--『ANOTHER~』の時点で他の2人に対して引け目を感じてた部分があったんですよね。
そうだねぇ。NAMBA69が始まってたとは言え。……遡るとさ、NAMBA69の前にソロでバンドを始めた時期があって、そのときは歌えないわ、弾けないわだったからね。本当にショックだったよね。ブランクが長いって本当に辛かったな。
--相当がむしゃらになってた時期がありましたよね。
あったね。でも、辛かったけどそういう困難を課せられた人生なんだって考えて、「よーし、だったらいつかまたやってやるぜ!」ってなったね。でも、年齢が上がるとともに、本当にそうなれるのかっていう不安とのせめぎ合いもあったけど。……まあ、諦めなかったね。NAMBA69もそうだけど、たとえ困難があっても、諦めなきゃそれは乗り越えられるよっていうのが今の俺からの一番大きなメッセージかな。そこを実際に乗り越えた俺だからこそ出せるバイブスもあるだろうし。
--『The Gift』で最初に仕上がったのは「ALL GENERATIONS」だったそうで。
そうだね。これ、仮タイトル「CARS」だったんだよね。CARS(1976年結成の米ロックバンド。ボーカルのRIC OCASEKはWEEZERのプロデューサーとしても有名)っぽいなと思って。
--歌詞には今のハイスタじゃないと書けない、ハイスタの新たなテーマ曲ぐらいの思いが詰まってますよね。
もっと言えば、音楽シーンだけじゃなくて、今、日本が変な感じだと思ってるんだけど、みんながこの国をいい感じにしたいと思ってるなら、世代とか人間のタイプとかを越えてみんなでいい方向に向かわないと持っていかれちゃうだけだと思うんだよね。だから、せめて音楽を好きな連中だけでもいい感じにまとまってほしいし、上の世代も下の世代もまとめきれて、いい感じにムードが作れる存在はハイスタしかいねぇんじゃねぇかなぐらいのことを思ってて。
--これまでにいろんなことを経験してきたハイスタが歌うからこそ説得力がある部分もありますよね。
そうねぇ。でも、それはいつでも意識してることかもな。どんな人が聴いても自分の人生に置き換えられるような普遍性を持たせたいなと思ってるから、それがハイスタなのかな。
--歌に関してはどうですか?
歌に関しては、『ANOTHER~』のときはかしこまっちゃって、しっかりやっちゃったんだよね。だから今回はあんまりしっかりやらずに、ラフく、思いっきりやることにした。もちろん、いくらでもピッチは直せるけど、極力直さず。『MAKING THE ROAD』までの時代ってプロツールス(このオーディオシステムが現れたことで、レコーディング環境が激変。従来のアナログレコーディングでは不可能だったボーカルのピッチ修正などができるようになった)がなかったから、ピッチとかメチャクチャなのよ。すげぇシャープっちゃったりしてる(音程がズレてる)んだけど、それが俺の味だったんだなっていうことに気付いたの。『ANOTHER~』はピッチも直してしっかりしちゃってるんだけど、もっともっとラフく、もっともっと荒々しいのがハイスタなんだよね。だから今回は今のレコーディング技術に頼らず、とにかくラフいのを作るっていうのがテーマのひとつだったんだよね。そこに気づけたのはデカかった。
--そう言うわりには上手いと思いますけど。
あ、そう? 上手くなっちゃったのかな。まあ、昔の音源と比べると明らかに歌い方が変わってるもんね。あと、今回はRYANじゃなくて松金さんっていうエンジニアの人に録ってもらってるのが大きいかも。『ANOTHER~』のときはRYANにいろいろ言われてやったけど、今回はのびのびと歌ってるから。
--ああ、それは心理的に大きいですね。
『MAKING~』もそうなのよ。日本のエンジニアの人に録ってもらって、RYANにミックスしてもらって。『ANGRY~』と『GROWING UP』はRYANが録ってミックスしてるから、『ANGRY~』はかしこまっちゃったよね。そういう意味では『ANOTHER~』は『ANGRY~』っぽいのかもしれない。だから今回はもっとぶっ飛びたかったし、そういうハイスタのぶっ飛び方を今の若い子たちに体感させたかったんだよね。
--簡単に話しますけど、難波さん、すごくいろんなものを背負ってますよね。
そりゃあね。
--今回は作業的に難波さんの負担がとても大きくて、気持ちの面でも「みんなにこう思わせてやろう」っていう気持ちが強くて。
曲作りの間はストレスがハンパなかったなぁ。プレッシャーだったのかな。人生最大に忙しかったし、人生最大の山だったかも、このアルバム。
--『MAKING~』も大変だったと思いますけど。
いやぁ、そうだねぇ。『MAKING~』出して、ツアー回って、まさに潰れたもんね。でも、一回潰れたことで、そうならないようにする能力が身に付いた。
--一度経験したことで。
うん。だから、今回も本当に大変だったんだけど、潰れなかったね。
--「これ以上行ったらアブねぇぞ」っていうラインがわかってますからね。
あとは単純にシステム的なことも大きくて。前は3人が同じ会社(PIZZA OF DEATH)に属して、「ここしか居場所がない」って感じだったのよ。それが今は、俺には俺のチームがあり、ケンくんにはPIZZA OF DEATHがあり、ツネちゃんにはツネちゃんの世界があって、潰れそうになったら家族のところに戻れば癒やしてくれるし、チームもサポートしてくれるっていうのが新しいかも。
--大変ではありつつも、やりやすい部分もあったんですね。
そう。それを培ってきたのが2012年からの3年間だったのよ。みんながみんなを認めあって、「じゃあ、そこは任せるね」って言えるようになってる。……ハイスタのシステムってみんなにはあまり知られてないと思うんだけど、まず、PIZZA OF DEATHというレーベルがあり、そこからハイスタの作品がリリースされて、ハイスタのマネージメントは俺のチームがやって、って分業になってるんだよ。
--バンドメンバーがレコード会社を作ることも当時は新しかったし、メンバーがレコード会社とマネージメント会社のトップにそれぞれ立って采配を振るうことも新しい。そして、そういうビジネス的な部分に一切関わらないツネさんみたいなメンバーもちゃんといるっていう。それが今のハイスタのバランスなんですね。
そうなんだよね。俺とツネちゃんはPIZZA OF DEATHの役員じゃないし、ツネちゃんとケンくんは俺のチームの役員じゃないし、ちゃんとお互いにロイヤリティやギャラを分配して、そこには会計の人がちゃんといて、しっかりやり取りしてるっていう。そんなことを俺らがやってるなんて誰も思ってないだろうね。これってすごいことだと思うのよ。
--リスナーからすると、こういう事実を知ることでまたバンドの見え方が変わって面白いと思いますよ。ところでさっき、普通に歌詞の話をしてくれましたけど、前って……。
誰がどの歌詞を書いたとか言ってなかったよね。
--はい。そういう話はしたがらなかったですよね。今、こうやってスルッと話せるのはなぜですか?
ケンくんは言うよね。「これはナンちゃんの歌詞で」とか。それってこないだ(『ANOTHER~』)からなのよ。でも、全部を明かすつもりはないけどね。
--あまり知る必要がないし、これまでもそうでしたからね。
ね。レノン=マッカートニーじゃないけどさ(笑)。……いやぁ、でも、曲作りの話に戻るけど、レノンが生きてて、またビートルズが一緒に曲作ることになってたとしたらこんな感じなのかもなぁぐらいのモノはあったよ、ケンくんと俺。だから潰れなくてよかったなぁって思って。(目の前に置いてあった『The Gift』のジャケットの色校を見ながら)……で、このジャケね(笑)。
--あはは!
で、この曲のポップさね。……でも、すごいよね、ハイスタって。一度潰れちゃってたんだよ?
--再始動までの間、みんなが真剣にぶつかりあって、そこに時間も味方をしてくれて。
時間は大事だったね。この3年間だって前までの俺だったらキィキィ言ってたかもしれないけど、焦らなかった。大人になったんだね、俺が。ケンくんの考え方を尊重して、ツネちゃんがいろいろやっていることも意味があることだと思って見てたし。
--そうやってみんなのことを認められたからこその今なんですね。
そうかもねぇ。それぐらいあのとき(2000年の活動休止に入るタイミング)のことがデカすぎてその後の10年間があったから、ちょっとやそっとじゃっていうのもあったのかも。それに、KEN BAND、NAMBA69、ツネちゃんの活動も全部含めて、そこに関わるメンバーのことも含めて、みんなのことを考えられるようになってるっていうこともあるかもね。
--まさに“WE'RE ALL GROWN UP”ですね。かつては“WE'RE ALL ASSHOLES”だったのに。
だったのにね。でも、これからも訳わかんない存在ではありたいけどね。
--難波さんの今はどうなんですか? 50が見えてきて、今なおパンクロックを続けているという。
ライブがよかったら気持ちいいし、いい音源が作れたら最高ってぐらい。あと、新しいところで言うと、子どもに喜ばれるのがうれしいかな。「今日のライブよかったよ」とか「このアルバムいいね」とか。今回のアルバムだって息子たちはめっちゃ喜んでるからね。今日だって新幹線で東京に来るときに、小学校5年生ぐらいの男の子が後ろから「サインしてください!」って。ヤバいよ、もう。
--イギリスのメタルフェスに行ったら、その日はトリがIRON MAIDENだったんですけど、おじいちゃん、お父さん、息子の3世代でお揃いのメイデンTシャツを着てるお客さんが何組もいたんですよ。
ああ、いいなぁ。そうなりたいねぇ。
--そういうバンドって日本にはあまりいないですよね。
まさにそれ。日本のMETALLICAみたいになりたい。あわよくばストーンズ。世界的に見ても、いくら若いバンドがビッグになっても結局はMETALLICAとかストーンズを越えられない。そこに行きたいよね。思ったのは、本気でパワーを注ぎ込めばエネルギーは枯れないんだっていうこと。経験を重ねている分、むしろすごいのが生まれるんだなって。だから終わりは見えないし、まだまだヤバいの作りたいなって思うし、これからも存在し続けたいな。
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--Hi-STANDARDの活動が2000年に止まってから、メンバー3人のなかでツネさんは一番幅広い活動をしているんですよね。CHABEさん(松田“CHABE”岳二)率いるCUBISMO GRAFICO FIVEだったり。
その当時の話を少しすると、2000年に活動休止した時は、疲弊と言うか燃え尽きてしまったんだよね。自分が10代の頃、「将来はドラマーになる!」と思っていた夢も忘れて、元々花屋さんでバイトしてたのと、実際に花も好きだし、花屋になろうと勉強してて。でもやはりそこは未練的な……未練だね。それでまた友達のライブを観に行ったりしているなかで、CHABEくんと出会って、一緒にバンドを始めたのはとても大きなきっかけだった。
--そこからいろんな活動に派生していきます。チャットモンチー、恒正彦、他にも様々なアーティストのバックで叩いたり、CMの仕事があったり。そうやっていろんな活動をすることでハイスタの活動にフィードバックされる部分はあるんですか?
うん、少なからずあるね。でもひとりのドラマーとして言うと、ハイスタ以外の活動がハイスタにフィードバックされてるだけではなくて、ハイスタでの活動が様々な場所での演奏にフィードバックされてるとも言えるから、最終的には全て自分にフィードバックされてることになる。
--前回のインタビューで興味深かったのが、ハイスタの活動を始めたときからパンク、ポップス、その他のジャンルが全部並列だったっていう話なんですけど、その感覚についてもうちょっと聞かせてもらえますか?
パンクはパンクなりの精神性などがあるけど、音楽的にパンクかそうでないかは関係なくて、大袈裟に言うとみんなが持っているものだと思うのね。何かに対するアンチだったり、それぞれのDIY精神だったり。ミュージックマガジンを読んで育った自分からするとね、音楽の聴き方は、中学生の頃からジャパメタも好きで中島みゆきも好き、ジャパコアも好きでユーミンも好き、当時からそういう感じだったから、だから色々なジャンルの音楽が自分の中では全て並列。
--ツネさんが参加している作品のリストを見ている限りではドラム職人的な印象を受けるけど、実はそうではないんですね。
いや、職人的なドラマーではありたいよ。ただ自分は自分でしかないからね。
--ツネさんのなかでは常に1本道を進んでいる感覚だと。
そういう言い方もできるかもしれない。地道な道のりだね。
--ところで、ツネさんが思うドラムの魅力ってなんですか?
魅力? 魅力は……説明できないなぁ。説明できるようになったらドラムの訪問販売やります(笑)。小学生の頃、テレビから流れてくる音楽に合わせてドラムを叩く真似をしていたのは覚えてるんだけど、中学の頃はギターをやってたんだよね。それで中学3年生の時に、友だち5人ぐらいでスタジオに入ったんだけど、みんなエレキギターで(笑)。でも、そのときにパッとスタジオのなかを見たらドラムがあったから、「あ、ちょっと演奏してみたいな」と思って叩いてみたらものすごく面白くて、それがきっかけでドラムを始めたんだよ。あ、でも、当時はLAメタルをよく聴いていて、Mötley Crüeの「Live Wire」という曲の後半で出てくるカウベルが「カッコイイー!」と思ってはいたね。潜在意識の中では既にかなりの興味があったのかもしれない。ん~、でも、ドラムが好きな理由なんて考えたことなかったな、理由はない。なぜ好きなのかって聞かれても答えられないぐらい日常なんだとは思う。
--そうなんですね。話は戻りますけど、『ANOTHER STARTING LINE』を作ってみて、Hi-STANDARDの恒岡章として何か発見はありましたか?
う~ん、どうだろう……。やはり、当然のようにハイスタとしての自分はあるわけで、発見という意味とは違うけれど、ドラムの演奏で長年悩んでいた時期があって、そのずっとかかっていた靄が2008年に突然晴れたんだよね。意識の扉が開いたというか。それまではず~っと出来なかった演奏ができるようになったり、音が立体的に聞こえるようになったり、音楽に関すること以外でもたくさんの変化があって……まぁ余談だけど(笑)。でもそういったたくさんの変化を経てから初めてのハイスタのレコーディングだったから、90年代よりも自然体で取り組めている感覚はあった。新鮮だったよ。とは言え、初日はエンジニアのRYANと進行に関して歯車が合わない部分があって、「これじゃダメだな」と2日目からは気持ちを切り替えて、自分のペースを保つことを重要視したんだよね。結果的には……個人的に100点ではないけど、100%は出せたと思う。本当の満足なんていつになるのか分からないけど「やりきった!」という実感はあったね。
--何ができたかというよりも、どれだけやれたかということのほうが大きかった?
演奏面で何ができたか、どれだけやれたかというのはもちろん重要なことなんだけれど……やはり17年ぶりにHi-STANDARDとしてみんなの足並みも揃った状態で音源を出せた。この事実が自分の中では一番大事だった。
--そして、今回の『The Gift』ですが、フルアルバムじゃなければ出す意味がないとツネさんが強く思っていたそうですね。
シングル2枚出したなら、次はアルバム作りたいよねっていう。シンプルに考えると。
--4曲入りの作品を2枚出して、次の作品が8曲入りっていうのはないよね、っていう音楽ファン的な目線もあったり?
あ~、そういう感覚もなくはない。応援してくれている人の目線で常にハイスタを見ているわけではないけど、自分がファンだったとしたら、「ここはアルバムだよね」っていうのはあった。
--でも、4ヶ月で16曲作るってなかなか大変ですよね。
そうだね。ハイスタの曲の作り方だとね。90年代は1年ぐらいの時間をかけて十何曲の曲を作っていたけど、今回は「All Generations」が出来上がったことをきっかけに、曲作りのスピードが上がっていって。もちろん、仕上がるまでに時間がかかった曲もあったよ。
--曲作りのときって、難波さんと横山さんのやり取りをツネさんは後ろからどういうふうに見てるんですか?
マフィンを食べたり、コーヒーを飲みながら。
--あはは!
いやいや……(笑)。ケニー(横山)がナンちゃんのメロディーに対してこんなコードを当ててるなとか、そこはシンコペ(シンコペーション。リズム技法のひとつ)食ってるなっていうのを確認しつつ、そこで自分がどんな仕掛けができるかを考えながら見ているね。あ、ただ注釈としてスタジオでは、2人を後ろから見ているのではなく、お互い顔を見合わせられるように3人がセンターを向いているね。
--2人がやり取りをしているなか、まだそこに一切手を付けていないツネさんとしてはどう演奏に臨むんでしょう?
「じゃあ、ちょっとやってみようか」ってなったときにすぐ演奏に移れるように、状況を把握しておくぐらいだね。寝ぼけてるような時もあるけど(笑)。あとはマフィンを食べたり……。
--コーヒーを飲んだり(笑)。『ANOTHER~』のときから思ってたんですけど、ドラムがすごく力強くなってますよね。
それはテクノロジーの進化か、楽器の素晴らしさか、ドラムチューナーの方の腕なのか、レコーディングエンジニアさんの技量……うふふふふふふ(笑)。すごくうれしいよ。ありがとう。
--では、『The Gift』ができあがった感想は?
すごくいいアルバムになったと思ってる。短期間で集中して作ったことが影響しているかどうかはわからないけど……今のHi-STANDARDの作品になったんじゃないかな。
--今のHi-STANDARD?
活動休止期間を経て、40も半ばを越えたHi-STANDARDが久しぶりに作ったアルバム。20代だったら今回のような内容にはなってないだろうし……だからこそ今のHi-STANDARD、今現在の3人で作った作品ですっていう……深い意味はないよ(笑)。もちろんメンバーみんなそれぞれのストーリーはあるけどね。
--ピザのスタッフから聞いたんですけど、ツネさんは自分のフレーズを全部譜面に起こすそうですね。
他の現場だと譜面をもらってそこに書き込んでいくっていうやり方も多いから、そっちのほうが覚えやすいというのは若干あるかな。でも、一番大きいのはフレーズのすみ分け。こっちとこっちでフィルのフレーズがカブらないようにとか、違うアプローチができないかなとか、そんなことを考えるためのガイドでもある。
--今回のレコーディングでも、「ここ、こういうふうに叩いてみてよ」って言われても、それが他の曲と同じフレーズだったらやらなかったりしたそうですね。
16曲もあるとどうしてもフレーズとしてはカブってくる部分があるからね。でも、絶対にやらなかったという訳ではないよ(笑)。色々こねくりまわして、やはりここはストレートに演奏したほうがいいなとなることもあったし。また別の曲では最初はストレートに演奏して、そこから音数をちょっと引いたり、違うニュアンスを出してみたり、そういうことはいつもしてるよ。
--その突き詰め方はすごいですね。
でもそれで不思議というか面白いのは、実際譜面に起こして練習していても、レコーディング本番中に、決め打ちにしてあったドラムのフィルとか違うことしてたりするんだよね。もちろん楽曲に差し支えない箇所だよ、たぶんね(笑)。間違えて叩いたものでも後から聴いたらそっちのほうがよかったっていうこともあるしね。
--譜面に起こしつつ、想像してなかった展開に対しても臨機応変に。
譜面どおりきっちり演奏しなくちゃとも思ってないからね。自分がメンバーのバンドではなおさらかな。そうだね、臨機応変に化学反応を楽しむということで。
--ツネさんは謙遜するかもしれないけど、「ドラムって叩く人によってこんなに特徴があるんだ」って気付くきっかけになったのがツネさんっていうパンクリスナーは多いと思うんですよね。
そう言ってもらえるのは本当に励みになるよ。まだまだこれからだね。頑張ります。
--ところで、Hi-STANDARDが2017年にアルバムを出すことって想像できました?
想像? ん~、むしろ逆に「想像できましたか?」と聞き返したいね(笑)。少なくとも2000年代後半ぐらいまでは全く考えてなかったし、色々あったから考えたくもなかった。当時はね。
--ああ、そうなんですね。
2011年に自分たちが動き出したのは、震災というとても悲しい出来事がきっかけではあったけれど、それ以降、昨年はシングル『ANOTHER STARTING LINE』が出せて、数ヶ所だけど東北のほうにもツアーに行けて、今年のアルバム『The Gift』まで、ひとつのバンドの活動として辿り着けたことは素直に嬉しいよね。もちろんこれから始まるツアーも凄く楽しみだよ。これからもよろしくどうぞ。
Interview By 阿刀大志
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--Hi-STANDARDの横山健として、ハイスタ再始動後の6年間を振り返ってみていかがですか?
止まってたものを動かすのにはやっぱり時間がかかるんだなぁ、大変だなぁって感じ。6年経ってやっとこアルバムまでこぎつけて……もっと早くアルバム作れたんじゃねぇかって皆さんは疑問に思うだろうけど、でもやっぱり時間がかかるもんなんだなって。2000年から11年も離れててさ、その間にそれぞれ住む場所が変わって、違うことを始めて、心の距離感も変わって、その状態からひとつのアルバムに向かうためにはこの6年が必要だった。俺たち、そこに対して嘘はついてないし、そのときの自分たちに対してすごく正直だったから。
--ビジネスとして割り切ってたらもっと早くできたかもしれないですね。
そうそう。そうなんだよ。ただただ自分たち3人の気持ちにだけ素直に、誰の期待にも応えようとせず、やりたいことを正しいタイミングでやった結果、6年かかったね。
--今回、『The Gift』を完成できたことって、ハイスタの活動において何かを象徴するものだったりするんですかね。
うーん、わかんない。もしかしたらね。でも、それはしばらくしたら見えてくるんじゃないかな。次に何かに取り掛かるときに、「ああ、『The Gift』ってこういうことだったんだな」っていうのが見えてきそうな気がする。
--『ANOTHER STARTING LINE』はどうですか?
あのときは全力で曲作って、レコーディングして、「今しかねぇ!」と思ってやってたけど、今思えば『ANOTHER~』はこのアルバムを作るためのリハビリだったんだなって思う。
--今回のレコーディングはこれまで以上に気持ちが入っていたそうですけど、それはなぜですか?
そうだなぁ……俺は『ANOTHER~』の4曲だけじゃ今のハイスタを表現しきれないと思ってて、あれを出したまま活動がまた止まっちゃったら自分的にも格好悪いなっていうのがあったりして、何曲入りになるかはわからないけど、とにかくアルバムに向かってみようっていう気持ちがそうさせてくれたのかもしれない。だから、『ANOTHER~』の存在は大きかったな。
--『The Gift』が完成してひと月ほど経ちましたけど、今、この作品をどう捉えてますか?
これはギャグで言ってるんだけど、聴き飽きたね(笑)。もう100回ぐらい聴いてるからさ(笑)。……まぁ、そうだねぇ、今のHi-STANDARDに嘘をつかず忠実に作れたし、俺はいいアルバムができたと思う。まあ、いいアルバムかどうかは聴いてくれるみんなが判断することだけど、俺は好きなアルバムだね。
--誠実に今のハイスタと向き合えたことは大きい?
おっきいおっきい。特に音楽的にね。もちろん、Hi-STANDARDの在り方も含めて、音楽的に絶対無理はしなかったのよ。こないだも話したけど、マネージャーのWAKAは「昔のアレみたいな曲作ってくれ」とかうるさく言ってたけどさ、それは全部シャットアウトして。3人それぞれが持ってるハイスタ像みたいなものをある程度追いかけた部分はあるけど、それをなるべく抑えて、今3人が格好良いと思える曲をちゃんと作れた。
--昔の曲に引きずられないってすごく大変なことのように思います。長いブランクがあっただけに心の拠りどころのようなものがないし、過去の作品にどうしてもすがりたくなるというか。
わかるわかる。でも、それをやってもさ、その曲は絶対に超せないじゃない? まあ、超せる超せないは聴く人が判断することだけど、俺は『The Gift』で過去を超えたと思うのね。
--それはどういう点で?
気持ちの部分だね。だって、「これ、『STAY GOLD』の次にクルかなぁ」とかそんなこと考えなかったし、今の気持ちに忠実にやった結果として16曲も作れて、「おお、いい曲揃ってんじゃん!」って思えたから。あとはやっぱね、男だからね、意地張るよ。だってみんな、楽曲の本質的な部分よりもアティチュードを見てるじゃん?
--横山さん自身も復活したバンドの曲をこれまでにたくさん聴いてきてると思いますけど、今度は自分がそういう立場になってるという。
ああ、そういう冷静な面もあるよ。『疾風勁草編』(『横山健 -疾風勁草編-』。2013年に公開された横山健のドキュメンタリームービー)でも話したけど、俺、BLACK SABBATH(1968年結成の英ロックバンド。ヘビーメタルの元祖とも言われる)がすごく好きなんだけど、復活後のBLACK SABBATHのアルバムはあまり好きじゃないのよ。聴くといいんだけどさ、どうしても前を超せない。俺はOZZY(OSBOURNE)がボーカルの時期のBLACK SABBATH(ここで指しているのは1968年から1979年までの活動初期)が好きなんだけど、やっぱりあの時代のリアリティには敵わない気がすんの。だからハイスタだってそう見られることは覚悟してる。ただね、聴く側とやる側には大きな違いがあって、聴く側は嗜好品として捉えてるかもしれないけど、やる側は人生かかってっから、過去を超える/超えないなんてことは意外と考えないんだなってことが今回わかったりして。だからどんな意見も甘んじて受けるよ。
--まあ、一部のバンドを除いて、過去と同じことをやってるほうが嘘臭いですもんね。
そうそう。だから早く世に出したいよね。どんなリアクションが来るのか、批判すら楽しみ。でも、こないだも話したけどさ、これでハイスタと出会う小中学生の子は新しいハイスタ世代になるわけじゃない? そういう喜びのほうに自信があるから、予想できる批判的な意見も気にならないのかも。
--制作に入る前ってどんな感じだったんですか?
今、ケラケラ笑いながら話してるようなことが、制作前は本気のプレッシャーとしてのしかかってた。でも、それを越えたところでちゃんと今の自分達に誠実にやろうっていうことは3人でも話したから、いろんな不安を背負いながらも大きな熱量で取り掛かったかな。まあ、物を作るときに不安はつきものだし、「今回はこの種類なんだな」って。
--ああ、毎回質が違うんですね。
そうそう。バンドによっても、時期によっても違うと思うんだけど。
--でも、BBQ CHICKENSにはそんなものないですよね。
ないね! まぁ、稀にそういうバンドもある(笑)!
--今回の制作はかなりしっかりとした分業だったということで。
結果的にそうなった。だって、ナンちゃんがものすごい量のネタ持ってくるからさ。まあ、ネタって言ってもこないだ話したように鼻歌レベルのところから料理してるから、みんなで作ってるようなもんなんだけどさ。でも、それだけナンちゃんのモチベーションは高かったし、「やんなきゃ進まねぇよ」っていうことが一番わかってたのもナンちゃんかもしれない。
--でもさっきも話しましたけど、横山さんもかなり集中して取り組んでたそうじゃないですか。
そう。『MAKING THE ROAD』の頃の俺だったら、ナンちゃんが投げてくるネタの10個中8個ははねつけてたと思うの。だけど今回はとりあえず全部受け止めて、「これをどう料理しようか」って考えた。ナンちゃんがサビのつもりで作ってきたものがAメロに聴こえたから、そこから先を作ったりとかさ。そういうことがいっぱいあって、ひとつのものを作るっていう目標に対してエゴなしで向かってたな。そうしてるうちにいつの間にかアレンジャー、プロデューサー的な役割が多くなってたっていうね(笑)。
--横山さんの音楽家としての成長があったからこそ、難波さんのネタを全て受け止めることができた部分はありますよね。
そうだね。あれから十何年が経って、同じ音楽でも聴き方が変わるし、引き出しの数も増えるし。『MAKING~』を作ってた頃は、ナンちゃんが作ってきた曲がダメだったらそのまま「ダメだ」って思ってたわけ。だけど今回は、「ナンちゃんはこの鼻歌をどういう方向に持っていきたいんだろう」っていうことを考えて具現化していったの。
--『MAKING~』の頃はもっと表面的だった。
うん。「そんなの格好悪いよ」って。当時は雰囲気もよくなかったしね。ネタ出されても黙っちゃったり……若かったよね。
--そんな状態でよくあの名作ができましたね。それはそれで面白い。
まぁね!
--ミックスとマスタリングは横山さんがガッツリ担当したということで。
結果的にね。レコーディングはそれぞれのパートを責任持ってやって、そのあとは最終的に俺が託されたからさ、一生懸命やったね。ツネとナンちゃんは「これでいいんじゃない?」って言ったけど、俺は嫌だったから「じゃあ、気の済むまでやんなよ」ってなって(笑)。
--何がそんなに納得いかなかったんですか?
音が今っぽ過ぎたの。ボーカルがドーンと真ん中にあって、楽器の音がちっちゃくてさ。それが今の音像なんだろうけど、「これはハイスタじゃねぇよ」って思ったの。だからもっと演奏をラウドにシャープにしたくて。
--最初は今のトレンドに合わせたものになってたんですね。
そうそう。それが全然物足りなくてさ。しかもアメリカに行ってやったわけじゃなくて、RYANとのデータのやり取りだったから余計に時間がかかって。でも諦めなかったね。RYANの個性も尊重しなきゃいけないとは思ったんだけど、この作品を背負って生きていくのは俺ら3人なわけだし。
--作業が終わってからRYANに何か言われませんでした?
怖いからあれから話してない(笑)。
--あはは!
でも、「結果的によかった」って言ってくれてるみたいだけどね。
--マスタリングも何度もやり直したとか。
そうそう。なんだろうね? 最近のあのシュッとした音のまとまり具合。ほんと、「小さくまとまってんじゃないよ!」って感じなの。でもさ、最近は環境によって音の聴こえ方が全然違うのね。iPod、ステレオ、カーステ、どれに合わせたらいいのか自分でもよくわかんなくなってるんだけど、結局パンクロックなんてものはギターがギャーン!と鳴ってナンボだと思うの。……まあ、パンクロックっていうか、自分の好きな音楽がそうなんだろうな。だから、そこをなんとか引き出そうと。
--音のバランスも大事ですけど、そこが一番というわけではないですからね。『Nothin' But Sausage』(2005年にリリースされたKen Yokoyamaの2ndアルバム)だって、マスタリングでノイズが入るぐらい音量上げてましたからね。
そうそう。それはRYANみたいなプロが自分のなかでやってくれたらいいことで、俺らはそこをわかったつもりになっちゃいけないんだよね。変に気を遣っちゃいけない。ギターの音が小さかったら時間や相手の気持ちなど気を遣わずに「ギターがまだ小さい!」って言うべきで。だから、もう一生懸命やったな。
--曲順も横山さんの案が採用されたそうで。横山さんの曲順の組み方っていつもレコードのA面B面を意識したものだと思うんですけど、今回はちょっと……。
うん、違うかもね。今回は意外と似たタイプの曲が対であるから簡単なんじゃねぇかと最初は思ってたの。だけど、そういう並べ方で頭から最後まで聴いたら意外としっくりこなかったから、その考え方を捨てて、16曲まとめて聴くっていうふうに考え直した結果がこれだったのね。一番いい形に落ち着いたんじゃないかな。
--前回も言いましたけど、6曲目の「My Girl」以降の流れが好きですね。頭の5曲は顔見せっていう。
ハイスタらしくてわかりやすい曲を前のほうに配置して、後半はストーリー性をつけてっていう。俺のなかでも「Time To Crow」でいったんストーリーはリセットされてるんだよね。
--ああ、そうだったんですね。ところで、最後の2曲はなぜボーナストラック扱いになってるんですか?
普通はさ、輸入盤と国内盤があるとしたら、国内盤を売るためにボーナストラックを付けるでしょ? でも、今はそれよりもデジタル配信とフィジカルの差がでかいと思うし、俺としてはフィジカルを買って欲しいから、そっちにボーナストラックを付けたの。だからデジタル配信にはこの2曲は入ってない。新しい形のボーナストラックなんだよ。
--なるほど。あと、『ANOTHER~』以降、横山さんが「この曲はナンちゃんが歌詞を書いて」という話をしているのが驚きで。以前はそういった話は一切しなかったと思うんですけど。
でも話したのは「ANOTHER~」についてだけだね。あれはさ、ナンちゃんが「これしかないっしょ!」って歌詞を書いてきたから褒め称えたかったの。
--あはは!
「うちのナンちゃん、よくやったでしょ!?」って。でも、それだけだね。他は言ってないでしょ?
--いや、「All Generations」も……。
あ、そうか、あれもナンちゃんだ。あれはさ、AIR JAM 2016での「ハイスタ世代突破していいですか?」っていうナンちゃんのMCからつながってる気がするんだけど、俺、それにすごく共感しててさ、だから褒め称えたかったの。あはは!
--(笑)じゃあ、考え方が変わったわけじゃないんですね。
うん、そうじゃないんだよね。だから、誰がどれを書いたかっていうのは野暮だから基本的には今も言わないかな。
--曲に関しても、これまでのハイスタってそのあたりの神秘性が保たれてたけど、今はある程度オープンに喋りますよね。
オープンになったわけじゃないんだけど、やっぱね、ナンちゃんの頑張りを褒め称えたくなったんだよ! わはは!
--3回目(笑)。
俺も頑張ったし、ツネも頑張ったけど、最初にネタを持ってくるのってすごくエネルギーと気合いがいるからさ。去年の暮れぐらいに「アルバム作ろっか」ってなって、一番最初にギアを入れたのはナンちゃんだったし。歌詞もさ、「その通りだ!」と思うものを書いてくるしさ。まあ、その辺がベールに包まれてるよさもあれば、それが曖昧になってるせいでお客さんの間で変な論争を生んだりもしてたから、「まあ、みんな落ち着け」と(笑)。だから、今は明かしたくなった部分は話してもいいんじゃないかなって気がしてる。
--余裕、ですかね。
うん、余裕は出たよね。だって、90年代のハイスタなんてお互いに対する感謝はなかったし。でも今は再始動して6年が経って、こうやってアルバムが作れるところまで来てさ、「やっぱ、この3人って特別なんだな」って自分でも思えちゃうからさ。
--思い返せば2000年からハイスタが動かなくなって、「ああ、やっぱりバンドって音楽だけに集中するべきなんだな」って思ったこともありましたけど、自分で自分のケツを拭いてきたからこそ、結果的に今こうやって動き出せてるわけで。
ね。なんとも言えぬロマンも感じるけど、その間に失ってしまったものに対する切なさもあったりしてさ。平たく言うと、生きていくってこういうことなんだな、しょうがなかったんだなって思ったりする。
--友だち同士でビジネスをするのはよくないとか言いますけど、結果的にハイスタにとってはこれが正しい形だったんだなって。
そうだね。俺は音源を作る会社のPIZZA OF DEATHの社長で、ナンちゃんはハイスタのマネージメントをしてんのね。で、ツネはドラム叩いてる(笑)。
--それがまたいいんですよね(笑)。
それがいいんだよね(笑)! もちろん、俺も一人でPIZZA OF DEATHをやってるわけじゃないし、ナンちゃんだっていろんな人の助けを借りてやってるけど、まあ、すごい形だよね。これを30代の頃にやれって言われてもできなかったし……まあね、こういうのは全部結果論なんだけど。
--「こういう形もあるんだな」ってしみじみ思いますね。
ね。えらいこっちゃよ(笑)。でもさ、こうなってくるとハイスタも大切だけど、俺はKEN BANDもやりたいのよ。KEN BANDをやってるときにハイスタのことはあまり考えないけど、ハイスタやるとKEN BANDに戻らなきゃって思ったりするの。どっちも大事だけど、そういう心理が働くのね。
--それは理解できる気します。でも、それは単純にどっちが大切ってことではないですよね。
うん、そんな次元じゃないんだよね。たださ、俺、同時期に2つやるのは嫌なのね。だからさっき言ったみたいな心理になっちゃうんだけどさ。……俺、KEN BANDは日本で2位のバンドだと思うよ。1位はハイスタ。ハイスタには勝てないけど、KEN BANDがナンバー2だと思う。最近、よくライブハウスで言ってるんだけど、ライブに来るヤツってクズが圧倒的に多いわけ。心の弱い人間、自信が全然ない人間、弱いくせに虚勢張ってる人間、正解がなんだか分からない人間、みんな不完全なの。だってさ、完全な人はパンクロックなんて、ライブなんていらないのよ。俺がなんでそういう奴らの支持を集められてるかって言うと、俺が誰よりも一番クズで不完全だからなわけ。一番悩んでる。そこを赤裸々に出すから注目してくれるのかなぁとかさ。だから悩むことがなくなったら自分のことパンクロックだなんて言えないよね。
--無責任なことを言うようですけど、横山さんは悩んでるのが似合いますよ。そうやって悩みながら生きているなかの120分を切り取ってステージで見せる姿にみんな惹かれるわけで。
『The Gift』もそうだよ。聴く人によっては全然大したことないアルバムかもしれないけど、ここには3人の葛藤とか悩みとか不安と一緒に、「いったれ!」っていうとんでもない勢いもパッケージされているわけ。今はまだわからないけど、後々大きな意味を持つアルバムになる気がするんだよな。
--今回の宣伝もいろいろと仕掛けてますね。
前回も話したけど、ハイスタイズムってものを今のピザの社員がしっかり受け継いでくれて、どうやったらハイスタが一番格好良く見せられるかっていうことを考えてくれてるからできることで。現状、最強のチームだと思うな。ナンちゃんのライブ制作のチームもしっかりやってくれてるし、手前味噌にはなるけど、ピザも一生懸命知恵を絞ってやってくれてるし、ツネはドラム叩いてるし(笑)。曲作り、ツアー、全てにおいて自分たちの目の届く範囲でやれてて……ツアーはまだ始まってないから成功するかどうかはわからないけど、かっけぇんじゃないかと思えるね。何がベストかはわからないけど、Hi-STANDARDとして、みんな納得がいってるよ。
--もしかしたら、かつてHi-STANDARDが作り上げようとしていたものは、この2017年に完成したのかもしれないですね。あの1999年ではなく。
もしかしたらね。でも、今思うとあのときはあのときで危うい美しさがあったよね。あの後、バンドがストップしてしまうなんて予想してなかったわけだし。今はもっと熟して、新しい形を作って……強くなって戻ってきたんだと思うよ。
Interview By 阿刀大志
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